なぜ入院しても摂食障害は治らなかったのか - 行動制限療法の限界

えみ By: えみ | Posted: 2025/06/18

前回の続きです。 お弁当を捨て続けて3ヶ月、ついに限界が来ました。

保健室で言われた衝撃の一言

中3の2月、健診がありました。

保健室の体重計に乗った瞬間、保健の先生の顔が真っ青に。 「ちょっと...これは...」

32.4kg

身長158cmで、この体重。 BMIは13を切ってました。

「今すぐ病院に行きなさい」「きちんと食べないとダメよ」

今のようにSNSも無いし、Google先生も多分いなかった・・摂食障害という言葉もあまり一般的ではなかった頃です。私も、本屋で摂食障害の項目をみて、「自分がすべて当てはまっている!!!!」と驚いたほど。ただ痩せたいだけ、と自分の変化に気づいていませんでした。

私の頭の中は 「あと2.4kg痩せたら30kg切れる!」 って、そっちでした。やばいなあと思いつつ、そんな考えが頭に浮かんでくるのです。

母との戦い

その夜、母が泣きながらバナナを差し出してきました。

「お願い、これだけでいいから食べて」 「無理」 「エミが死んじゃう」 「大げさだよ」

今思えば、母はどれだけ辛かったか。 自分の娘が目の前で消えていくのを、ただ見ているしかない。

結局、その夜も食べられず。 そして、夜は食べたいのに食べれない、お腹も空いている。脳に糖分がないから頭も回らず、精神も不安定。イライラ、と不安の毎日。。こんな毎日限界だと思っていたとき、身体も限界を迎えました。

そして、翌週、中学校3年の春休みを利用して入院することになりました。

入院しても変わらない現実

入院すれば治る。 病院の管理された食事なら、安心して食べられる。

病院は、そんな私の最後の望みでした。

ただし...そんな期待は、見事に裏切られました。

病院では「行動制限」という治療法。

  • 体重が〇kg以下:病室から出られない

  • 体重が〇kg以上:廊下を歩ける

  • 体重が〇kg以上:外出許可

要は「体重増やさないと自由はないよ」という、アメとムチ作戦。

でも私は病室で、ひたすら太ももの隙間を確認してました。 点滴の針が刺さった腕を見て「これでカロリー入ってくる」って恐怖で。

入院しても、頭の中は変わらなかった。

テニス部の仲間が教えてくれたこと

入院して1週間後、硬式テニス部の同期5人がお見舞いに来てくれました。

「エミ〜!暇でしょ?」 「ちびまる子ちゃん持ってきた!」 「病院きれいだね!」

彼女たちは、私が骨と皮だけになっていても、 入院していても、 いつもと全く同じように接してくれた。

病気の私じゃなくて、「エミ」として見てくれた。

その時、心の奥底から 「早くみんなのところに戻りたい」と思いました。

卒業式という転機

3月、一時退院許可が出て、中学の卒業式に参加しました。

袴姿の友達、ドレスの子、みんなキラキラしてて。母校の卒業生はとても派手だったのです笑。

私はブカブカのセーラー服。

でも、みんな駆け寄ってきて、 一緒に写真撮って、 「高校でもよろしく〜」など普通の中学生らしい1時間を過ごすことができました。

その瞬間、スイッチが切り替わったのです。

今まで:痩せることが最優先

その瞬間:みんなと一緒にいたい

そう本当に心から思いました。いまでもその瞬間は覚えています。

今までは「食べるか食べないか」「今日の病院食はどのくらいのカロリーか」「病院にあるテレビで料理番組をみてなんだか食べた気になる、治ったらこれ食べよう!」と毎日雑誌を眺めるだけの日々。

そんな私に、早くみんなのところに戻りたいなーというワクワクの感情が急に戻ってきてくれました。

「治った」と思ったあの日

卒業式の帰り、母とコムサカフェに寄りました。 当時、中学生には高級だったケーキ屋さん。

「好きなの選んでいいよ」 母の言葉に、イチゴタルトを選びました。

完食。

しかも病院に戻ってからの夕食、ミートローフも完食。 その日の日記に書きました。

「完食できた。嬉しい。もっとママとみんなとこういうことしたい」

母も看護師さんも、みんな喜んでくれて。 これで摂食障害は治った。 そう思いました。

でも、そんなに単純じゃなかったのです。

退院して高校生活が始まると、また少しずつ食べるのが怖くなりました。

友達とのランチで「普通盛り」が食べられない。 「ダイエット中〜」って誤魔化す日々。

でも、今度は違うスイッチが入ったんです。

「痩せること」<「東大に受かること」

受験は期限付き。 このチャンスを逃したら二度とない。 そう思ったら、優先順位が変わりました。

東大受験を支えてくれた母

高3の受験期、私はまだ「決まったものしか食べられない」状態でした。

でも母は文句一つ言わず。

  • 塾の前に池袋で一緒にうどんを食べてくれた

  • 毎日大量のサラダを用意してくれた

  • 「これなら食べられる」というものを探してくれた

1月のセンター試験。 ガリガリの私は、カイロを10枚以上持参。 それでも震えが止まらなくて。

でも、母のサポートのおかげで東大に合格できました。

摂食障害は「完治」じゃなく「共存」

よく「摂食障害はいつ治りましたか?」と聞かれます。

正直に言うと、 中学の卒業式で「治った」は嘘です。

正確には「優先順位が変わった」だけ。 その後も波はありました。

でも、それでいいんです。 完璧に治らなくても、人生は前に進める。

そして、この共存をみとめ、かつ「上手く付き合っていく」ことが治療への一歩。

これは後々ぶり返さないし、むしろ自分の本当の魅力に気づくことができる方法、メンタルラボでもご相談いただいた方は驚きの効果が出ています。

私は、15年も完治にかかってしまい、10代、20代、もっとできたなあと思うこともたくさんあります。

摂食障害はむしろきっかけ、摂食障害を味方にして、さっさと自分らしく最高の人生を生きるサポートをお届けしています。

次回予告

次回は、東大入学後の話。 そして、なぜ製薬会社に入って「薬では治らない」と確信したのか。

摂食障害・ダイエット依存で悩んでいる方、 お子さんの摂食障害で悩んでいる親御さん、 「完治」を焦らないでください。

小さな一歩でも、前に進んでいれば大丈夫。



ここから先の閲覧にはログインが必要です

ログイン・会員登録はこちら
SHARE:

ニュース


最新の投稿


© ブレインクエスト

メンタルラボについて  
利用規約  
特定商取引法に基づく表示